例えば、論理と感覚についてのこんな話

プログラミングのスピードを上げる方法 - teruyastarはかく語りき
プログラムについてはさっぱりなんだけど、プログラミングする人の話はおもしろいものが多くて好きなのだ。


これと、それに関する一連の記事を読んで思ったんだけど、おれがVimperatorが好きなのは考える前に思うとおりにブラウジングできるからで、おれが

野良黒  Vimperatorに新しい機能を追加するのはめんどくさいって愚痴

で書いたようにプラグイン等についてめんどくさいって思うのは、感覚的に動かしたいものに対して論理的思考を要求されるからなんだな、とわかったのだった。

水を飲もうとして「よし、おれは今喉が乾いたからソファから立ち上がり台所に行ってコップを手にとって蛇口をひねってコップの中に水をなみなみと満たし乾いた喉へと流し込むのだ」と決意を固める人はいないってことか。

スポーツや楽器の演奏や長文を書くときや英語でコミュニケーションをとるときや女の子を口説くときも、うまくいったときってのはなにも考えず、身体が勝手に、口が勝手に、手が勝手に動く時だったもの。

こうして系統づけて考えてるのも論理的思考に縛られているからなのかな。それとも、ふと連想して思い浮かんだのだから感覚的思考なのかな?
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2 Comments

スズキ  

No title

感覚は数々の論理のうえに成り立っていると思います。

たとえば、たくさんのタグが論理だとすると、
ひとつのサイトが感覚みたいな。

だから感覚的に何かを動かそうとしたら、
論理的なことをいくつかこなす必要があるのは当然だと、
隣のヤミが言っています。

2010/03/15 (Mon) 18:41 | EDIT | REPLY |   

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>スズキさん

例えば、バスケの試合で相手のディフェンスをかわしてジャンプシュートを決めようとするときに、いちいち「よし、右にフェイントを入れて左に抜いてシュートだな」と考えていたら間に合わないんですよね。
でも、その動作ができるようになるためには、まずドリブルができなくてはならないしジャンプシュートができなくてはならないしとっさにフェイントを入れるのを無意識にできなくてはならない。それを無意識にできるようになるためには、やっぱり論理的に考えつつ繰り返して習得していくしかないのだな、と。

考えてみたら至極当然のことなんですが、自戒の意味を込めて記事に残した次第であります。

隣のヤミさんにもよろしく言っておいてください。

2010/03/15 (Mon) 23:39 | EDIT | REPLY |   

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