丸山ゴンザレスとゲッツ板谷のこと

■丸山ゴンザレスとゲッツ板谷のこと

●丸山ゴンザレス、シリア難民の街「リトル・ダマスカス」を歩く(丸山 ゴンザレス) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

(敬称略)

街の様子も興味深いが、丸山の話の引き出し方の様子に目を引かれる。不自然ではない程度に、しかし確実に初対面の相手と距離を縮めていく。長年の取材で培った技術なのだろうか、もともと素養のある人なのだろうか。



丸山ゴンザレスのことは、テレビで有名になる前にこちらの著書を読んだことがある。手元にあるのは改訂前の平成17年(2005年)初版第一刷。この頃は世間的には名もない旅の素人が世界を放浪する本がはやっていて、これもそうした流れの一環として出版されたようだ。
内容は怖いもの知らずのチンピラ青年がアジア諸国や南フランスをうろつき危ない目や怖い目に遭ったりするというもの。当時の丸山は尖っていて、乱暴な態度で粋がる様子が痛々しい。

同類の本としてはゲッツ板谷が西原理恵子の元夫(当時は夫)のジャーナリスト / カメラマンの鴨志田穣と旅する『怪人紀行』シリーズが成功していて、丸山もゲッツへの敬愛の言葉を述べていた。

●Amazon.co.jp: 怪人紀行

異国情緒をおもしろおかしく味わえるこれらのシリーズが好きになり、同類と思える旅行記をつまみ食いしていた時期があった。
しかし、それらはあまりおもしろくなかった。教養や啓発のにおいがするものはどれもつまらなかった。それらの旅行記を読んでみてわかったことは、自分は旅や異国の文化がどうこうというよりも、ゲッツ板谷と旅の仲間がバカなことをしてバカなことを言い合ってバカ笑いしてるのを読むのが楽しかったのだということだ。

それで、同じようなものがないかと探していたときに、近い雰囲気があるかもしれないと思って手に取ったのが、丸山ゴンザレスの本だった。
だが、これは前述のとおり痛々しさが目立ってあまり楽しめなかった。丸山と似たキャラクターのゲッツ板谷がおもしろかったのは、鴨志田穣や西原理恵子というツッコミ役がいてこそだった。

街の不良から暴走族になり親類にヤクザがいて現役のチンピラだと自称するゲッツ板谷は、恐い乱暴者という扱いをされてもおかしくなかった。「金角・銀角」時代には、西原の漫画でもそうした扱いで描かれることもあった。しかしコンビを解消して以降は、鴨志田や西原がゲッツをバカにし、ことあるごとに押さえつけるという構図で旅が進行していくため、こちらの見方も「恐いチンピラ」ではなく「元ヤンのバカだけどどこか憎めないダメなヤツ」となって笑えたのだ。
旅の日程も、ゲッツ名義の本なのにカメラマン・ガイド・通訳を務める鴨志田の都合で進んでいくので、ゲッツは「わけもわからず振り回されいじられる」というちょっとかわいそうな立場になる。これらが相まって、隙というか遊びが生まれていた。

当時はただ笑っているだけだったけど、今になって考えれば、自著でここまで徹底して自分を貶めて笑われ役になるというゲッツ板谷の役どころは、簡単には真似できない優れたキャラクター造形の賜物だった。事実、鴨志田穣の著書では旅の同じシーンを振り返る記述があるが、ゲッツの書いた内容とは異なる部分がある。ゲッツの著書では旅をおもしろく書くための演出がなされていることがわかる。

一方で丸山の旅にはツッコミ役がおらず、主体が丸山本人にあるので、「恐いチンピラ」のまま進んでいくことになる。これだとこちらもどこかで構えてしまって楽しむ余裕が生まれない。
『アジア「罰当たり」旅行』での丸山は、立場が定まっていなかった。初めてに近い著作であることもあって読み手としてもどう捉えていいかわからなかった。ゲッツ板谷を引き合いに出すということはおもしろ方面を意識するということでもある。しかし、全体の空気は粋がるチンピラなのだ。幼児売春や薬物等の犯罪の現場に潜入するなど、現在の犯罪ジャーナリストとしての肩書につながるような部分も見られるが、いずれも体験記の範疇を出るものではなかった。おもしろでもなく、シリアスでもなく、取材と言うには浅く、日記と言うには妙に気取ったフシがある。方向性を模索する様子がうかがえる。

※丸山の名誉のために念のため付記するが、幼児売春を丸山が体験した訳ではなく、それらが行われる現場に潜入取材したという内容。


読んだ当時の自分はここまで考察していたわけではなかったけど、「なんか違う」とは感じていて、それから丸山の著書を手に取る機会はなかった。
それでも「丸山ゴンザレス」という変な名前は頭のどこかに残っていて、テレビなどで目にするようになって「あ、あいつか!」というちょっとした驚きを味わえた。それを味わえたという意味では、あの頃に丸山の著作を読んでいてよかった。今この時期に読んだのではこの驚きは味わえなかった。


『怪人紀行』シリーズ以後のゲッツ板谷は、旅のパートナーだった鴨志田穣が外国の怪しい薬やアルコール中毒になり、それに伴って元々鴨志田が持っていた攻撃的な部分が手に負えなくなり仲違いすることになる。時期を同じくして鴨志田の妻の西原理恵子と一緒に旅をすることもなくなった。ゲッツは旅の大部分を鴨志田に頼っていたため『怪人紀行』シリーズは続けられなくなり、以後は自伝形式の小説や身の回りの雑記などを書くようになる。
身辺雑記の他には著名人に話を聞いたりイベントに乗り込んで茶々を入れる体験記などを手掛けたこともあったが、いずれもシリーズとしては根付かなかった。


鴨志田穣は『カモちゃんの今日も煮え煮え - 77P』にて、ゲッツ板谷について以下のように書いている。

ゲッツとの取材旅行ではいつも安宿ばかりに泊まっていた。いいんだ奴はそれで。彼はいじめて窮地に陥るほどにいい泣き声をあげる。
いじめるほどに帰ったあとにいい文章を書く、イジメ甲斐のあるいい野郎なんだ。だから彼と一緒の時は安宿が良い。


ゲッツが主体となって行動する企画では担当編集者への甘えや雑さが感じられ、原稿の仕上がりもふざけた文章でお茶を濁すこともあった。
元々ふざけた文章を書く著者ではあったが、鴨志田や西原と旅する際には、そのふざけかたに真剣味が感じられた。気温40度のなかミャンマーの山を何時間も登ったり、インドの満員列車で乗客の体臭に包まれながら何時間も揺られたり、泊まる際には必ず鴨志田と相部屋にされて鴨志田の鬼のような歯ぎしりと夢遊病に悩まされたりする苦労は本物だった。

しかし、ユーミンのライブを観に行ったり大好きな三原じゅん子に話を聞く企画からは、そうした切実さを感じることはなかった。
それらを読み比べる限り、鴨志田の指摘は当たっていたのかもしれない。

『怪人紀行』シリーズや鴨志田、西原と行く『紀行』シリーズでは1000のエピソードを100に選びぬいたような密度と熱量が感じられたけど、それ以後の著作は10のエピソードを70程度まで薄めて伸ばしたように感じられ、過去の濃さを知っているだけに分量を間違えたカルピスのように味気なく感じてしまっていた。

自伝や身辺雑記は著者本人がメインテーマであって、著者に興味があってある程度前提知識がなければおもしろみを感じられない。話の題材も、どうしても著者の半径数メートルの出来事になる。そういう意味では、ゲッツのテーマはよりマニアックな方へ、内側へと閉じていくことになった。
この点は、丸山がよりマスに訴える方向へ活動を広げていったのとは対照的だ。


●現代ビジネス | 丸山 ゴンザレス maruyama gonzares

1977年、宮城県生まれ。考古学者崩れの犯罪ジャーナリスト・編集者。國學院大學大学院修了。 無職、日雇い労働などからの出版社勤務を経て独立。現在は国内外の裏社会や危険地帯の取材を続ける。


「旅行記」の書き手としてはパッとしなかった丸山は、それでも旅をやめなかった。「恐いチンピラ」を突き詰めて「犯罪ジャーナリスト」の肩書を名乗るまでになった。
その粘り強さと興味を追求し続ける姿勢が今の丸山につながっている。


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